Youtubeで人気の「令和の虎」メンバーで、美容外科医・実業家として活躍するドラゴン細井(細井龍)さん。
今回は、そんなドラゴン細井さんの浪人時代・大学時代のエピソードをまとめました。
ドラゴン細井の浪人時代のエピソードまとめ

浪人を決めた理由は?
現役で千葉大学医学部に合格したものの、東大理Ⅲ(医学部)を目指し、浪人を決意したドラゴン細井さん。
浪人を決めた理由は「理Ⅱ」が合格点に達していたため、1年浪人すれば「理Ⅲ」も受かると予想したためだそうです。
結果として東大理Ⅲには受かりませんでしたが、千葉大学医学部に再び合格し、千葉大医学部に進学しました。
浪人時代に受かった大学は?
ドラゴン細井さんは、浪人時代は東大と千葉大のほか、順天堂大や慈恵医科大学の医学部も受けていたそう。
順天堂大や慈恵医科大学の医学部などはA判定を取れていた上、ほとんど合格したそうです。
センターの点数は現役時代は92%くらい、浪人時代は93%超くらいだったそうです。
浪人時代は理Ⅲは受験しなかった
驚くべきことに、ドラゴン細井さんは浪人時代は第一志望だった東大理Ⅲ(医学部)は受験しなかったそう。
前期で千葉大学医学部を受験し、前期で千葉大学医学部に合格しています。
第一志望には落ちてしまったものの、千葉大医学部に現役時代とあわせて2回も合格してしまうのはすごいですよね。
ドラゴン細井さんは、現役の時に作った学力の貯金が作れたのが大きかったと語っています。
理Ⅲ合格者との違いを痛感
ドラゴン細井さんは浪人時代は前期で千葉大を受けましたが、前期で受けるということは理Ⅲを諦めるということですよね。
早い段階で理Ⅲを受けないことを決断した理由の1つが、塾で「本当に理Ⅲに行く人たち」を見たためだそうです。
ドラゴン細井さんが通っていた「駿台市ヶ谷」からは毎年20〜30人が理Ⅲに合格していたそう。
そこで理Ⅲに行った友達もたくさんでき、彼らを見たことで「ベースが違うな」と感じたそうです。
また、渋幕でトップの成績になったこともあったという細井さんですが、渋幕でも理Ⅲを受ける人は少なかったそう。
筑駒や開成から理Ⅲを目指してきた人や、中1から鉄緑会に通ってきた人たちと戦うのは厳しいとも感じたのかもしれません。
目標を立てて全力で努力すれば合格できると思っていたものの、本当に理Ⅲに行く人たちとは感覚が違うと感じたという細井さん。
そこから、すでに下がったモチベーションを引き上げるのが難しかったといいます。
理Ⅲ合格者を尊敬する理由とは?
ドラゴン細井さんが今でも理Ⅲに行く人たちを尊敬しているのは、当時の感覚が脳裏に焼き付いているためだそう。
「浪人の友達は一生の友達」と語るドラゴン細井さん。いまだに彼らには尊敬する部分があると語ります。
ドラゴン細井さん自身が全力で理Ⅲ目指したからこそ、理Ⅲの人たちを心から尊敬できるのかもしれませんね。
浪人中は「女の子を追いかける日々」に?
浪人生時代は「駿台予備校市ヶ谷」と「ena御茶ノ水」に通っていたというドラゴン細井さん。
浪人を決めた当時は、「よっしゃー!浪人!」とやる気に満ちていたそうです。
しかし、浪人生になった途端に勉強しなくなり、女の子を追いかける日々になってしまったとか。
細井さんは「駿台の最初の授業で隣に座った桜蔭の女の子が可愛くて、そこで僕の受験生活は終わりました」と語っています。
細井さんは桜蔭の女の子が好きだと公言していますが、桜蔭生であることから余計に可愛く見えたのかもしれません。
ちなみにその子は東京医科歯科大学に進学したそう。
ドラゴン細井さんは、恋愛したいという気持ちに勝てる人が受験などでも勝つことができるとも語っています。
途中で千葉大学医学部に志望変更
浪人時代は可愛い女の子のいる授業に一緒に出席したり、デートをしたり一緒に帰ったりしていたというドラゴン細井さん。
あくまで遊ぶ女の子は同じ予備校の女の子だったため、大きく羽目を外すことはなかったそう。
しかし、デートしたり一緒に帰ったりと、一人で勉強に集中できてはいなかったと振り返ります。
浪人時代を満喫しているうちに理Ⅲは無理だと思い、途中から千葉大医学部に志望変更したそうです。
浪人時代は金髪にアロハシャツ?
浪人時代のドラゴン細井さんは、金髪にアロハシャツ、短パン姿で予備校に通っていたそう。
駿台の2chのスレで叩かれたりもしていたそうで、かなり派手で目立つ存在だったことが伺えますね。
また、その頃に新宿の歌舞伎町でホストにスカウトもされたそうです。スカウトされた際は「家ある?」と聞かれたとか。
社会勉強のため、後に経歴を隠して約1年、新宿の歌舞伎町でホストをしていたそうです。
理Ⅲ進学を諦めたドラゴン細井さんは、この頃にはすでに勉強以外のことに興味が出始めていたのでしょうね。
受験は「人生の失敗」だった?
実業家として活躍中のドラゴン細井さんですが、中学受験と大学受験で第一志望に落ちたことは「人生の失敗」だったそう。
しかし、第一志望には落ちたけれど挑戦する過程に価値があり、努力できたことが自分の財産になったと語ります。
当時、受験に全力で取り組んだ経験が、現在の塾経営などにも活かされているのかもしれませんね。
「今の自分があるのは親のおかげ」
2歳から細井さんを公文に通わせていた細井さんの両親について、SNS上で「スパスタ」と指摘されることもあるそう。
しかし、細井さん自身は「今の自分があるのは親のおかげ」と感じ、感謝していると語っています。
中学受験も力を入れてもらい、渋幕に入れてもらえたからこそ千葉大医学部に行けたとも語っています。
ドラゴン細井さんの幼少期の英才教育などについては、こちらの記事でも詳しくまとめています。
ドラゴン細井の大学時代のエピソード

週3しか学校がなかった?
ドラゴン細井さんが千葉大学医学部を選んだ理由の1つが、週3しか学校がないと聞いたことだったそう。
今では厳しくなったものの、当時は1年生の間に単位をまとめて取れば2年生は週4休みといった感じだったそうです。
千葉大学1年生の時は受験勉強の反動もあり、ホストをやったりと、アルバイト三昧だったそうです。
部活とアルバイトに打ち込む日々
医学部では8〜9割の人が部活に入るそうですが、細井さんはテニス部やゴルフ部などに所属していたそうです。
アルバイトは最初の1年半くらいホストをやってから、トライなどで塾講師や家庭教師したそうです。
効率を重視する細井さんですから、なるべく時給の高いアルバイトを選んでいたのかもしれませんね。
塾講師ではプロのライセンスをもらい、国試もさらっと受かり、留年もしていないそうです。
ホストのアルバイトを始めた理由には、違う世界も見てみたいといった好奇心もあったといいます。
当時のホスト経験が、細井さんのトーク力や美容外科医というお仕事にも影響を与えているかもしれませんね。
大学に通ってしっかり学業も行いつつ、社会勉強として色々なアルバイトをしたりと、細井さんの要領の良さが伺えます。
親ガチャ下位を思い知らされる?
千葉大入学前は自身の親ガチャを当たりと思っていたそうですが、入学後は親ガチャ上位の生徒がたくさんいたそう。
そのためドラゴン細井さんは、自身が親ガチャの下位だったことを思い知らされたと語っていました。
ドラゴン細井さんは、1年浪人して20歳の年で「千葉大学医学部」に入学し、25歳の年である2013年に卒業しました。
ちなみに、ドラゴン細井さんが大学時代の部活について以下のようにツイートしていました。
医学部の部活が厳しいとか時代遅れだとかいう話題が常にあるけど
— ドラゴン細井 (@dragonhosoi) April 6, 2022
自分で選択した入部行動に対して、後からぐちぐち言うのはダサくないか
堂々とマイワールド展開して、練習遅刻したり、寝坊してブッチしたり、先輩に喧嘩売ったりすればいいと思う
ちゃんと半強制的に退部(放流)になる
(実体験)
エリートの集まる千葉大医学部時代でも物怖じせず、細井さんらしいヤンチャっぷりを発揮していたようですね。
まとめ
今回は、ドラゴン細井(細井龍)さんの浪人時代や大学時代のエピソードをご紹介しました。
2歳から英才教育を受けてきた細井さんが東大理Ⅲを諦める瞬間は、一種の挫折感があったかもしれません。
しかし、大学時代はアルバイトや部活に打ち込んだりと、勉強以外の道も充実させていたのが印象的でした。
色々なことに挑戦する姿勢が、さまざまな事業を手がける現在の細井さんの活躍にもつながっているのかもしれませんね。
ドラゴン細井(細井龍)のプロフィール
名前(本名):細井龍(ほそいりゅう)
ニックネーム:ドラゴン細井
生年月日:1988年6月8日
星座:ふたご座
年齢:37歳
身長:173cm
体重:60kg
出身地:千葉県鎌ヶ谷市
学歴:千葉大学医学部卒業
職業:美容外科医、形成外科医、実業家、Youtuber
資格:医師免許(医師国家資格試験合格)
趣味・特技:極真空手、テニス、ゴルフ、ダイビング
人気コンテンツ「令和の虎」のメンバーで、「ドラゴン細井」のニックネームでYoutubeやSNSでも高い人気を誇る。
形成外科医・美容外科医として活躍するほか、塾経営なども行い、実業家としても知られている。
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