アパレル社長・石川涼のwikiプロフ・経歴!中学高校や会社員時代、起業の経緯についても

石川涼

『VANQUISH』や『#FR2』など、数々の人気アパレルブランドを世に送り出してきた、石川涼(いしかわりょう)さん。

「株式会社せーの」の代表を務める石川涼さんの、プロフィールや経歴について詳しくまとめました。

石川涼のプロフィール

名前:石川涼(いしかわりょう)
生年月日:1975年06月12日
年齢:48歳
星座:ふたご座
血液型:B型
出身地:静岡県富士宮市
出生地:神奈川県南足柄市
職業:実業家(株式会社せーの代表取締役)

石川涼の出身地は?

静岡県富士宮市出身

石川涼さんの出身地は、「静岡県富士宮市」。富士山の麓にある町です。

今やファッションの最先端を走る石川涼さんですが、自然の豊かな街で育ったんですね。

筆者は学生時代、アルバイトで富士宮市に行ったことがありますが、のどかで良い街でした。

ちょっとしたお出かけスポットやイオンなどのスーパーもちゃんとあるのに、駅の雰囲気はレトロ感が漂っていたり。イオンの屋上からは富士山が見えました。

石川涼の中学・高校は?

富士根北中学校

石川涼さんの出身中学は、「富士根北(ふじねきた)中学校」。

小・中一緒の小規模な学校で、現在は石川さんが通学していた時よりさらに生徒数が減り、一学年一クラスだそう。

生徒数が少ないということは、その分、のびのびと個性を活かせる環境であるようにも思えますよね。

石川さんは自分の意志や個性を大事にしている印象がありますが、そういった小中学時代の環境も関係しているのでしょうか。

石川涼さんは2018年に、「富士根北中学校」の同窓会に参加したそう。

30年ぶりの再会となる同級生もいたそうです。今でも交流があるって素敵なことですよね。

静岡県立吉原工業高等学校

画像引用元:https://www.edu.pref.shizuoka.jp/yoshiwara-th/home.nsf/IndexFormView?OpenView

石川涼さんの出身高校は、静岡県富士市比奈にある静岡県立吉原工業高等学校(公立高校)です。

偏差値は44くらいで、光GENJIの諸星和己さんも通われていた高校です。

静岡県立吉原工業高等学校の評判がこちら。

「大手企業への就職実績が多い」

生徒指導は非常に厳しいが、就職重視の工業高校という立ち位置で納得できるもの。大学卒業でも入社できないような上場企業や大手企業への就職実績が多い。公務員になる生徒さんも居る。

https://www.minkou.jp/hischool/school/review/89224/より引用

「体育は厳しい」

体育は厳しいようだが、体力テストは県内屈指のレベルとのこと。2年で志望する学科により差があるようだが、勉強も礼儀も出来無かった子供をここまで育ててくれるなら有難い。

https://www.minkou.jp/hischool/school/review/89224/より引用

やや体育会系なところもあり、礼儀作法もしっかりと指導されている高校なんですね。

大手企業への就職率も高いそう。石川涼さんのような敏腕社長も生み出していますし、優秀なビジネスマンを多数輩出しているんですね。

1996年 20歳で上京

高校卒業後は、地元・静岡県のアパレルショップで販売員として働き始めたという石川涼さん。「話が面白い」とお店でも人気だったそうです。

しかし、2年ほど働く中で、朝出勤し、お客さんが来たら接客する、という日々に物足りなさを感じたそう。

だんだんと販売から生産などの裏方に興味が移ってきたこともあり、2年間務めたのち、20歳で上京を決意します。

当時は、あてのないまま上京したそうですが、それほど「東京でファッションの仕事をしたい」という気持ちが強かったのでしょうね。

「当時静岡にいた女の子とは全員遊んだから」とご本人が語っていたこともありますが…(笑)

アパレルメーカーの営業に就職

20歳で上京するも当時はコネクションがなく、日雇いバイトをしながらアパレル関係の職を探し続けたという石川涼さん。

その後、浅草のアパレルメーカーの営業(OEM会社)に就職し、企画生産・営業の仕事に携わります。

しかし、上京当時は営業の経験がなく、成績も不振。

それなのに赤髪で生意気な態度を取っていたことで、先輩から「見た目と態度は一丁前」などといじめられたそうです。

しかし、石川さんはイラっとしつつも「確かに」と受け入れたそう。そしてなんと、赤髪から坊主にしたそうです。

全社で営業成績1位に

そこからはひたすら仕事に打ち込み、入社一年後には全社で営業成績が一位になったという石川さん。

そこからその会社を辞めるまで成績1位をキープし続け、石川さんをいじめていた先輩も部下になったそうです。

見返してやろうという気持ちもあったそうですが、いじけず、圧倒的な実力で示し返す感じがカッコいいですよね。

24歳で独立を決意

「得意先に振り回される環境を変えたい」

入社した会社で実績ができたこともあり、自分が食べていくくらいは稼げるだろうという自信がついたという石川さん。

「得意先に振り回される環境を変えたい」との思いもあり、約5年間勤めた会社を退職し、独立します。

2000年「株式会社せーの」を設立

石川さんは2000年、自身が24歳の時に「株式会社せーの」を設立。設立後5年間は、人を雇わず、一人でやっていたそうです。

当時は、会社員時代にしていた下請けの仕事を行っていたようですが、5年間も、一人ですべてこなすというのは並大抵のことではありませんよね。

2004年『VANQUISH』を開始

その後、2004年に、自身のブランド『VANQUISH(バンキッシュ)』を設立した石川涼さん。

会社員時代から、市場調査のために毎週渋谷から原宿にかけて歩いていたという石川さんは、狙いを渋谷に定めます。

当時は「渋谷109」のレディースブランドの勢いが凄まじく、ギャルの子たちはこぞって渋谷に買い物に行っていました。

彼女たちの隣を歩く「ギャル男」君たちのブランドを作りたい、という思いが『VANQUISH』のはじまりだったそうです。

業界からは「あんなのファッションじゃない」という声もある中、それが逆にチャンスだと思い、参入したそうです。

時代の流れや需要をキャッチする力が凄まじい、石川さんらしい決断ですよね。

キャリーケース一つで全国巡業

自身のブランドを立ち上げたタイミングで、グラフィック担当の方と営業担当の方を雇ったという石川さん。

会社を一人で経営するという状況ではなくなったものの、当時の社員数は3人。

当時はネットも普及しておらず、石川さんは社長自らキャリーケースで商品サンプルを持って、全国巡業に行ったこともあったそうです。

ファッション雑誌の巻末に記載されているお店の地図を見て片っ端から訪問したそう。

門前払いなどもありながらも、アポなし飛び込みで50件ほど契約を取ったとか。行動力と営業術が凄まじいですよね。

2011年 東京コレクションに参加

お兄系ブランドとして人気を集めていった『VANQUISH』は、2010年に「東京コレクション」に参加が決定。

しかし、当時109ブランドが東京コレクションに出るというのは異例の試みで、SNSなどでは大バッシングを受けたそう。

しかし当日、会場の恵比寿ガーデンプレイスには長い行列が。その年の最高の動員数を記録したのです。

批判をはねのけて、圧倒的な結果で見返す。会社員時代の石川さんとも重なる部分があると感じました。

2015年「#FR2」を立ち上げる

そして2015年には、新たな人気ブランドとなる『#FR2』を立ち上げた石川涼さん。

「世界が写真中心のコミュニケーションになっている」と感じたことから、カメラマンに向けた服を作ろうと思いついたそうです。

Instagramの影響力の上昇に伴い、「#(ハッシュタグ)」をつけたブランド名をつけたというのも斬新ですよね。

今や世界的に注目を集めているイケてるブランドである「#FR2」ですが、次々に超人気ブランドを輩出してしまうのはさすがすぎますよね。

まとめ

今回は、石川涼さんのプロフィールや経歴についてまとめました。

ファッションの革命児とも言われる石川涼さんですが、会社員時代から、着実に実績を積み上げてこられた方であることがわかりました。

上京、転職、独立など、数々の決断をしてきた石川さんですが、とにかくエネルギッシュな行動力も印象的でした。

現在もファッション業界のみならず、あらゆる業界でカリスマ経営者として注目を集める石川涼さん。今後の活躍にも注目が集まります。

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